古文

古文≒外国語?

 「古文は外国語だと認識してね」と私は口酸っぱく生徒に言っています。この意見に猛反対する専門家がいることは重々承知です。それでも私は敢えて、古文を日本語と言うよりも外国語と割り切ってほしいと言っています。

 なぜならば①現代語と意味が違う単語が数多く存在する(例えば「ありがたし」は現代語では「ありがたい、嬉しい」ですが古語では「めったにない」となる)②文法や決まり事をある程度覚えなくては太刀打ちできない、この2点から外国語のように割り切る方が理解しやすいからです。

 また、問に「①​を意味を考えて書きなさい」とあった場合に傍線①だけをジーッと眺めるのではなく、前後を眺めて意味を予測することが大切です。☜これも外国語の長文を読むときと同様!

 本居宣長(江戸時代の国学者)の「玉勝間」の文中に次のような表現があります。「桜の花ざかりに、歌よむ友達、これかれかいつらねて、そこかしこと、見ありきける、」。

 問「見ありきける」を現代語訳せよ、とありますが大半の生徒は「見ありきける」だけを見て「見飽きた」と答えてしまいました。しかし、直前に「そこかしこと」とあるので答えは「見歩く、見て歩いた」となります。

 某生徒に「昔の人は花(桜)を見て歌を作るのが風流であり、ある意味仕事だったので『もう面白くない、飽きた~』とはならないよ」と言うと・・・、「桜を見て飽きる人なんていませんよね!誰が見ても美しいし!!!」と満面に笑みをたたえて答えてくれました。

言葉だけを見て、言葉(単語)に近い言葉に当てはめて意味を考えるのではなく、単語の前後から「予測する」ことを意識しましょう。古文≠現代語です。

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