雑感

教えない教育法

 「○○の考え方は自分で考えてやる、なので教える○○はないので、うーんという感じがします。生徒たちで自分で考えてやる○○という考えなので、今のコや親は好んでここでやりたいって感じではないのかもしれません。」

(注)○○には、あるスポーツの名前が入ります。

 上記の文章は某保護者からのラインです。無事に第一希望の高校に合格した生徒!!その生徒は○○の強豪校に入り、○○というスポーツをしようと大張り切りなのです。

 ところが、親としては指導者の「教えない教育法」に少々疑問を抱いている様子なのです。ちなみに教え子ちゃんは〇〇においてはかなりの実力保持者。県内の大会で入賞するぐらいのツワモノです。その彼にとっては「教えない教育法」は合っていると私は思います。

 それゆえ、保護者に以下のように変身しました。

「おっしゃる通り『自分で考える』方針はあやふやな感じがして人気がないのは事実です。
しかし①長い目で見てた場合②◆◆(生徒の名前)くんの実力・・・という二つの視点で考えた場合、監督の方針が必ず将来、しかも近い将来役立ちます。」

 どういうことか?勉強にしろ、運動にしろ全くの初心者の場合、手取り足取り教えるべきです。なぜならばアウトプットしたくてもアウトプットすべき知識やノウハウ、能力がないからです。

 しかしある程度の実力がついたら・・・すでにインプットされているものをどう組み合わせて、どう生かすか?については自分で自分に問いかけること、つまり自分で考えるからこそ実になるのです。

 今回の場合、私の教え子ちゃんはすでにかなりのインプットが蓄積されているので、「教えない教育法」を実践する監督の下で頑張るのがいいと思うのです。

 周囲からすると「教えない」と見える場面でも名指導者というのはしっかりとヒントやピンポイントは伝えるはずです。それが証拠に長年、強豪校として君臨できているのです。

 どの程度まで教えるか?の塩梅をしっかりと見極められるのが名指導者であり、名指導者を見つけるための目を養うことが保護者にとっての課題だなあと思った出来事でした。

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