雑感

古人と遊ぶ

 「なぜ国語なんですか?なぜ国語を面白いと思うんですか?」という質問。何百回とされました。国語を面白いと感じる理由の一つとして「作品にツッコミを入れられる。昔の人と妄想の中で話を出来るから」というのが挙げられます。

 例えば、「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聞きにゆく」という石川啄木(享年26)の短歌。長生きできていたら、あるいは令和の時代に生きていたら逆の立場になってたかもしれないのに・・・等々、勝手に文豪に話しかけています。

 ワタクシ、先日「大阪から出張で来ているのですか?懐かしい関西弁と声をかけられました。去年は偕楽園で「関西から来たんですか?」と観光客に声をかけられるし・・・。大阪から遊びに来ていた友人は笑いをこらえるのに必死でした。

 ハイ、啄木氏とは真逆です。また、宇治拾遺物語において「天文判断(占い)に従わなかったけれど何事もなかった話」・・・。近衛大将(右大将と左大将)全員が謹慎すると仕事が滞ってしまう。それゆえ年配の自分は老い先も短いしどうなっても構わないからと謹慎しなかった左大将。

 左大将の心がけがよかったために災いが起こらなかったという内容。ウーン、左大将と私は心がけが違い過ぎる~~~~!と思わず1000年前の人に頭が上がりません。

 数年前、いわゆる「視える」能力があり、統計学に詳しい方から茨城行きをめちゃくちゃ反対されつつも「責任は私がとります!覚悟はできています!」と啖呵を切った私相当よろしくない天文判断が下されつつも強引に動いたことがあります。おかげで今、幸せです!とりあえず災いからは逃れています。

※命にかかわるような「見立て」ならば流石に啖呵は切りません、きちんと従います。

 勝手に脳内で左大将に「お互いに良かったですね~~~。めでたしめでたし」と話しています。あ、近々「平安時代の超イケメン」在原業平氏とお喋りしよッと。

 生徒からは「先生、怪しい!先生、現世では友達いないんですか?」と聞かれますが華麗にスルーです。時には国語で遊んでみると楽しいですよ~~~。ただし、問題を解く際には「無」・・・客観的に!がモットーです✊

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