「流水濁らず、忙人老いず(りゅうすいにごらず、ぼうじんおいず)」という言い回しがあります。「忙しく動いている人は年をとらない、老いない。流れのある川は水がきれいだが淀(よど)んで流れない川は濁る。」です。
この言葉を見ると鴨長明の「ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水にあらず」という方丈記の一節も思い出す私。
こちらは、川の水の流れは絶えることなく続いているように見えるが、よく見ればそれは決して同じ水ではなく移り変わっている。☞一見恒常的で不変に見える川の姿に世の中の「無常」「転変」を見るのである。
長明は人や人の栖(すみか)もまた移り変わりの無常であり、川の流れと同じだといい「朝に死に、夕に生るる習ひ、ただ、水の泡にぞ似たりける」と続けます。
張り切って動いて失敗し、そこに至るまでの努力が「水の泡」になってしまい「無常観」を味わうことになるかもしれません。それでも自分自身は「流水濁らず、忙人老いず」と実践していきたいと強く思うのです。
老いている暇なんてこれっぽちもありません!常に動いていても若者たちの流行のスピードには到底ついていけない、ましてや一か所にとどまってじっとしてるならば完全に置き去りにされてしまいます。
はかない?人生。常に「現状に満足」することなく新しい挑戦をしていくほうが楽しいかなあとワクワクしています。と、自分を鼓舞して(笑)今からたまりにたまった仕事を頑張りまーす!