「日本語は美しい!」
改めてそう思いました。何気に読んだ文章に「泉下(せんか)の客となる」「幕を閉じた」とありました。亡くなった人のことを書いていることから「泉下の・・・」「幕を・・・」共に「亡くなる」の比喩表現だと分かりました。
お恥ずかしいながら「泉下の客となる」に関しては初めて知りました。「泉下」とは黄泉(こうせん・よみ)のことを指しており、死んだ人が行くところのことです。「泉下の客となる」とは黄泉の国のもとへ訪れる客になることで、死ぬことを婉曲に表現した言い回しなのです。
相手に誤解を招いてはいけない時は事務的に「死にました」「亡くなりました」「息をひきとりました」というべきでしょうが、そうではない時には「泉下の客になる」といった婉曲表現を使うと、「死」というきついイメージを払拭できそうです。
以前、知人の死を私に知らせて下さる方が歯に物が挟まったような言い方をなさったことがあります。亡くなり方等々、大きな声で言える内容ではなかったので当然のことで、私が逆の立場だったとしても同じ行動をとったでしょう。
結局、相手の反応から「知人の死」を推測することになったわけですが・・・。今後は少々、言いづらい状況等の時は「泉下の客になった」と表現するのもありかな~と思います。
私はまだまだ「黄泉の国」へは招かれたくありませんし、まだ途中までしか開いていない幕を閉じるのはごめんこうむりたい!と思っています。まずはこれから大きく大きく開いてから最期は潔く閉じる~ことのに憧れます。