雑感

実用的な文章≒国語?

  近い将来、国語の授業で従来の文学教材のほかに「実用的な文章(契約書など)」を教材として学ぶことについが物議を醸しだしています。

 某高校生は、実用的な文章を授業で使うことに対して反対意見を持っています。「楽しくないから。楽しくないとやる気が起こらない。答えが一つに決まることをわざわざ国語で学ぶ必要はない。」という意見です。

 ちなみに私自身は・・・「実用的な文章」を若者たちが学ぶことには、どちらからというと賛成です。文学的文章をあらゆる視点から鑑賞することも大切ですが、それよりもまずは「読解力」を付けて欲しいと思うからです。

 年齢に関係なく「日本語が通じない」人が少なからず存在し、私が困ることが多く「若いうちからしっかりと読解力を付ける必要あり!」と感じるからです。

 確かに「想像力・妄想力」を養うことは大切ですし、自由に解釈をすることが出来る作品こそが文学であり、情趣です。しかし、だからと言って「一つの事実」に対する「正しい解釈」を身に付けなくていいとはならないでしょう。

 「事実」に対して自分の勝手な解釈を入れて「事実を捻じ曲げて」相手のことを誤解したり、場合によっては攻撃することになるのは如何なものか?とも思うのです。

 「契約書の読み方」等々を国語という科目で指導すること自体は「??」ですが、少なくとも「事実を事実として解釈する」という訓練自体は大切だと感じる私です。

 

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