勉強法 雑感

言葉の在り方≒人としての在り方

 考えても分からない問題はある程度の時間で切り上げて、答えを見る☞解説を読み、理解する☞解答を写す☞解法を覚える☞何度も反復するというのはどの科目にも共通する勉強法です。

 ん十年前は「自主性」という言葉を勘違いして、ヒントもろくに与えずに「考えなさい」「自分で」と言い放ち、長時間にわたって生徒を放置するという指導者もいましたが。

 しかし、知識のストックがない状態ではどうやって解法を導き出せるでしょうか?ある程度の知識のストックがあってこそ、いろんな知識を組み合わせることが可能になるのです。

 とはいえ、答えを見る☞解説を読み、理解する・・・・何度も反復という一連の作業を一人で完璧にするのは難しいです。安易に答えを見て、分かった気分になって写して終わりと言うことにもなりかねません。

 その点、指導者がいる場合は「この問題はヒントを伝えれば自力でできる」「この問題は明らかに本人の能力を超えているから解答を示す」といった見極めができるのが利点でしょう。

 さらには国語の記述に関してはこの方法をとることによって①チンプンカンプンだった論説の「要旨、主題」が分かる②素晴らしい先駆者の思想や考え方に触れることによって自分自身が成長できる、という2点の良いことがあります。

 さて、あるテキスト内の問に対する模範解答が「学校教育以外の生活の場で言葉の遣い方を教えることが、同時に人としての在り方を教えることになるから。」(阿部昭「エッセーの楽しみ」より)とありました。

 国語教育≒人間教育・・・このことをしっかりと心に刻んで今後も指導にあたろうと思う今日この頃です。

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