雑感

正論はケースバイケース

あらゆる分野において、悩んでいることを専門家に相談した時に「誰もが知っている正論」のみだとあなたはどう感じますか?あるカウンセラーは「不倫」について悩んでいる(ご本人が不倫をしています)女性について次のようにアドヴァイスしたそうです。

(回答)「ご主人や子供さんに対して優しくしてください。不倫相手に対しての愛情を抑えるのは無理でしょうから不倫をやめろとは言いません。その代わりご自分のご家族に対して優しくすることによって、ご家族も大切にしてください。」

道徳的に(?)「不倫」は良くないことは誰もが分かっています。だからこそ「不倫」をすることに対して罪悪感を抱いたり、悩んだりするのです。そのモヤモヤを誰かに相談した際に「不倫はダメ!すぐにやめなさい」と言われたら・・・気持ちの持って行き場がなくなってしまいます。

そもそもが「ベスト」の答えは自分自身が一番分かっている、にもかかわらず「できない」から悩んでいるわけですから。だから知人(カウンセラー)のエピソードをを聞いたとき思わず「成程~」と感じると同時に、高額にもかかわらず人気がある理由が分かったような気がします。

私は「正論ではなく、本当に必要なことを教えてほしい、伝えたい!」と最近強く思います。正論については自分でいくらでも調べることが出来ますし、情報過多の今のご時世!大半の人がすでに知っています。

勉強についてもしかり。「本を読む」「音読をする」「目先よりも自分で考える力を付ける」等々が大切なことは皆が分かっています。でも、それをするだけの気力・体力・時間的余裕がない場合が大半なのです。

というわけで私は生徒やその保護者には「正論」ではなく「今、とりうるベストの方法」を考えてアドヴァイスしています、少なくとも「しよう」と思っています。

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