勉強法

ノートは美しい方がいい?!

どんなこともそうですが、Aという説が出てくると必ずアンチA、が出てきます。物事によってはAあるいはアンチAのどちらが正しいかと決着が付きますが、勉強においてはなかなかそうはいかないです。なぜなら、AもアンチAも両方正しく、自分に合っている方法を選ぶしかないからです。

よく生徒から「先生、ノートは綺麗に取るべきですか?」と聞かれます。答えは・・・相手によって変えます。さて10年ほど前に「東大合格生のノートはかならず美しい 単行本 – 2008/9/25 太田あや著」が話題になりました。ノートをとることに命を懸けていたYちゃんは、ますます張り切って何冊もノート(自宅用、学校用、復習用、塾用などなど)を作って見せてくれるのです。

私が苦い顔をしていることには全く気付かず「図はコピーを貼る!(☜数学は別です!手で書かない!)」と言ってもスルー。成績?あがるわけがありません。彼女は「ノートをとる」ことが目的になって「覚える、暗記する、演習する」が完全抜けていたからです。

東大生(勉強できる人)のノートが美しいのはある意味、当然なのです。それはきちんと理解し、頭の中で知識等が整理整頓されている物をアウトプットしているからです。単純に人から与えられたものを写すすだけでは成績は上がりません。

私?!ある日を境に美しいノートを止め、教科書に書き込む派に転身。すると1冊だけの自分のオリジナルの教科書(参考書)が出来上がり、時短、浮いた時間はひたすら「演習」にあてていました。結果・・・成績大幅アップ!「東大生のノートが美しい≠ノートが美しい人は東大生(成績が良い)」です、くれぐれも誤解のないように。

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