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共感ではなく思いやりを

    親友のSNS、それに対するコメントをチラッとのぞいた私。見るんじゃなかった・・・。なぜならコメントを見てモードが下がったからです。記事ではなくコメントです。

 親友は自分の体調管理のため、遠方&保険外診療のクリニックを受診したことをアップ。記事自体は客観的な内容で、私は純粋に「ああ、頑張ってるなああ」と感じました。

 その記事に対して私と親友の共通の知人が長々とコメントを入れていました。そのコメントというのが自分の病気自慢。「ウザイ」と言いたくなりました。

 本人は共感しているつもりなのでしょうが・・・記事を読めば私の親友は決して悲観しているわけではない、むしろ淡々と前向きな姿勢なのですが「病気」というキーワードに勝手に反応している状態。

 なまじ共通の知人なので、おもわず「ああ、この人とは今後は少し距離を置こう」と思ってしまいました。

 そもそもいわゆるいい状態ではない人(病気、落ち込んでいるなどなど)に対して共感すればいいってものではないでしょう?と言いたいです。

 むやみに共感することはお互いに傷をなめあうだけ、さらにはネガティブな感情を増幅することにもつながりかねません。だから私はむやみに同情されたり共感されたりはお断りです。

 いわゆる義務教育を受けている年齢層の子供たちは感情コントロールがまだまだ未熟です。それゆえ何か嫌なことがあったりするとそれを引きずった状態で授業に参加することは日常茶飯事。

 そんな時、私は一歩距離を置いて冷静に対応します。むろんスルーするわけでは決してなく思いやりを持ちつつ、思いやりをもっているからこそ?相手に傷口に触れずにそっとしつつ・・・といったイメージです。

 むろん毎回、うまくいくわけではありませんがたいていは生徒たちは自分でネガティブ感情を鎮めて中立な状態に戻ります。相手に接する際には「共感ではなく思いやり」をモットーに今後も活動して予定です。

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