雑感

それって単なる指導放棄では?

 私って…本当に異端だなあとつくづく感じます。なぜなら「教えない」「自主性に任せる」「自分で考えさせる」というフレーズに対しどうしても違和感を具えないからです。

 誤解のないように申し上げますが、「自分で考えさせる」「自主性」云々には賛成なのです。最終的にそういった力を身につけられるように応援するのが指導者の役目だと思っています。

 とはいえ、こういったスローガンを掲げている団体、指導者でいったいどれほどの人が生徒に寄り添りつつも、しかるべき時には伴走して・・・と言うことを実行できているのだろうか?という思いがぬぐい切れません。

 私は幼い頃から小学校6年生までにピアノを習っていました。自分のレッスンの番が来るまでの時間、先生から楽譜を渡されて自主的に予習をするようにと言われました。

 が、当時はまだまだ音楽に対するストックが少なかったので1つずつの音符は詠めるのですが、旋律としては読めず頭の中では「ド ソー ファ」という単語だけが文字としてむなしく浮かぶのです。結局ボケーッと時間だけがむなしく過ぎていきました。

 今となっては思うのです。「一回でいいので見本として音楽を聞かせてもらってたら違ってただろうな」と。何が言いたいか?ある程度教えることが大切、かといって教えすぎるのはダメ、このバランスが難しいけれど一番大切だなと。

 ちなみに私に指導を依頼してくる生徒達の大半は学校、予備校、塾の先生などなどから放棄(きちんとした指導を受けていない、指導に不満がある)されたタイプが多く、またそれらの学校、予備校等が知名度がそれなりに高いというパターンも多いのです。

 つまり「教えないでと考えさせる」のは口で言うのは簡単ですが、生徒にとってのベストの指導って本当に難しいのです。ちなみに私は、作文などなど「全部削除ね。書き直し」と結構厳しく指導します。

 その代わり必ずと言っていいくらいフォローはします。ヒントややり方、考え方を伝えたりしています。それを別のプロから見ると教えすぎと映るかもしれませんが、放置を自主性だと履き違えるのは良くないなと考えています。

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