雑感

国語という「科目」を教える、解くとは・・・

 勉強を教えてお金を頂く・・・ということは「相手にとって価値があることを提供する」必要があります。つまり「正しいこと」を教えるのは当然ですが、正しいからと言ってエンドレスに小難しいことを説明するのはいかがのものか?と私は常に考えます。

 目の前の生徒にとって何が必要か?そして何を求めているか?を常に観察します。めんどくさい文法の本質をエンドレスに説明されるよりも、とにかく正解を導けるための分かりやすい方法を知りたい!と思っているタイプがほとんどです。

 そりゃそうですよね?文法や言葉そのものに興味があるというよりも、とにもかくも目の前に問題を正解したいと小中高生は思います。こういうことを書くと「本質が大切!」「小手先や目先の事だけだといずれ限界が来る」という意見をもらうことがあります。

 ただ、お金をいただいて教えると言うことは「相手にとっての価値」を最優先すべきだと考えます。それゆえ、私は「解き方」&「なぜそんな風に解けるか?」といった本質を少しだけ付け足して説明します。その際には前半は必ず覚えること!後半は一応聞いててねというスタンスです。

 ちなみに…国語という科目を「解く」と言うことは物事の本質を解釈するというよりも、作者、主人公、出題者は何を言いたいのか?を読み解くことです。決して自分なりの解釈をいれて鑑賞するのではないのです。その部分を指導する側、「科目として解く」側、ともにきちんと意識する必要があるなあと思う今日この頃です。

 

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