「愛の反対は無関心である」
マザー・テレサの言葉として語り継がれていますが、実際は作家エリ・ヴィーゼルが発したものだという説が有力のようです。
しかし、誰が言ったかなんてどうでもいいと思っています。さらには国語的な正解を求めるなら「愛」の対義語は「無関心」ではなく「憎しみ」でしょう。
それでも個人的には、存在すら意識の外に置かれる「無関心」こそが最も冷徹な対義語であるという解釈に、私は強く共感します。
さて、昨日、若い友人が私に「苦言」を呈してくれました。 それは私を思ってこそ発せられた熱い「愛」のある指摘でした。ありがたく受け取ったものの、伝えた本人は、少しばかりの気まずさが残ったのかもしれません。
日頃の友人は、メッセージを送っても未読のまま数週間、音沙汰がないことも珍しくありません。ところが今日は何度もラインをくれました。
「こんな面白いことがあったんですよ!」「これ、好きそうだと思って」
届くのは、なんてことのない楽しい平和な日常の内容。「言い過ぎたかな」「怒らせていないかな」・・・ そんな不器用な気遣いが画面越しに伝わってきて嬉しくなりました。