雑感

「教えない指導」への違和感

 最近、「教えない塾」や「教えない指導」というキーワードをよく耳にするようになりました。なるほど、狙いは「自主性をはぐくむ」「自分で考える力をつける」ことにあるのでしょう。

 確かに、子ども自身が考え抜いて答えにたどりつく経験は、将来にわたる大きな財産になります。しかし、私はこの「教えない」という方針に、正直なところ少々懐疑的です。

 なぜなら、そもそも知識も経験もない「白紙状態」の子どもに、どうやって自力で何かを考えさせるというのでしょうか?できないからこそ、教わるために塾に行くのでは?というツッコミを入れたくなるからです。

 もちろん、「答えを教えるのではなく、考えるプロセスを導くのだ」という反論もあると思います。けれど、それならば、今やAIに質問すれば同じようなヒントは簡単に得られます。むしろAIの方が、24時間、どんな質問にも丁寧に答えてくれる分、よほど「寄り添ってくれる存在」に思えることもあります。

 では、塾や予備校の存在意義は?私はこう考えます。――それは、「かゆいところに手が届く」ような、個々人に合わせたピンポイントのアドバイスができること。そこにこそ、プロの指導者の価値があると思うのです。

 実際、私自身も「教えないタイプ」の指導者に複数名に教わった(?)経験がありますが、残念ながらその多くは、「教えない」のではなく「教えることの放棄」でした。質問をしてもまともに答えてもらえず、時間もエネルギーもお金も浪費してしまいました。

 本当に優れた指導者とは、「答えは教えない」けれど「そこに至るまでの考え方」や「ヒント」はきちんと与えてくれる人です。その絶妙なバランスが取れるかどうかが、プロとアマの違いだと思います。

 「教えない=放置」ではありません。そこを履き違えている指導者が、あまりに多いことに私は強い危機感を覚えています。

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