「クリぼっち」という言葉がここ10年ぐらい?流行っています。意味は、クリスマスを1人で過ごす事を表現した用語。 クリスマスの「クリ」に、ひとりぼっち(一人ぼっち)の「ぼっち」が語源になっているそうです。
まるでクリスマスを一人で過ごすのが良くない、一人で過ごすのはさみしいと言わんばかりの風潮がだいぶん前からありますが、この言葉だけを見るとさほど悲壮感や良くないイメージは湧かないですね。
それは「クリぼっち」がカタカナ+平仮名でしょう。これが「クリ孤独」なんて表現になるとなんだか悲壮感がヒシヒシと伝わってきそうで・・・。平仮名やカタカナをあえて用いることで言葉が柔らかくなりますね!
さて、平安時代に紀貫之が女性が書いたようなふりをして「土佐日記」を著しています。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」この一文から始まる作品の叙述の主体は実作者の貫之ではなく、ある「女」という体裁をとっています。
紀貫之はなぜわざわざ仮名を用いたか?多くの諸説の中で有力なのが次の説。「私的感情を日記に書き綴るのは、公的立場の男性には許されず、赴任地の土佐で亡くした娘を悼む母性心理に通じる心情を書き綴るのにふさわしい主体は女性であり、ふさわしい文体が仮名・和文体であった。」
私自身、漢字が大好きでついつい漢字を多用してしまいますが、今、執筆中の本はあえてひらがなを多くしています!来年早々には世に出せるはず?こうご期待。