雑感

助かる≒祝う事?!

 今日は東日本大震災10年。仙台市の歌人佐藤通雅さんが「たまたま生き残る側におかれたにすぎないのに、個人の生存を祝われるのは、ひどく場違いな気がする」と書いています。

 この言葉、深いです。生きているから良かった、亡くなったから不幸・・・という一面的な視点だけで軽々しく目の前の人に声をかけることは私には出来ないです。

 私事ですが・・・1月に実母が入院、1か月後に実父が急逝しました。この事実だけを知った人の中には私に異常なまでに同情するタイプがいます。単なる社交辞令で「大変ですね」ならばいいのです。

 しかし、事情をよく分からないにもかかわらず異常なまでの同情。これに対してとても違和感を覚えるのです。詳しくは書けませんがこれだけは書けます。私の父は最高に幸せな立派な最期でした。

 それが証拠に身内を初め事情を知っている方々は「かっこいい」「すごい!理想的な最期」とべた褒めなのです。お気遣いは有難いです。しかし自分の基準のみが「正解」という態度での言葉かけは避けてほしい、避けるべきだと思う今日この頃です。

 多くの命が失われた日、命について書いてみました。そして・・・一面的な視点ではなく多角的視点を持つためには・・・結局は「勉強」が一番の方法だと思います。国語という教科こそがまさに「多角的視点」を養うための学問だと言いたいです。

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