最近、中学校の制服を「統一型(標準服)」にする動きが加速しているというニュースを目にしました。メーカーを共通化することでコストを抑えられるメリットがあるのだとか。
この話題で思い出したのが、以前ある生徒が書いた「制服の是非」についての作文です。
彼は「制服がある方がいい」という派でした。理由は以下です。
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毎日の服選びの手間が省ける
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私服を揃えるより安上がりである
これに対し、私は思わず反論しました。 「いやいや、制服は一式揃えれば数万円なので決して安くない。私服なら、今はリサイクルショップやファストファッション、あるいは知人からの譲り受けで、もっと安くお洒落に済ませられるはずだ」と。
それに対して彼は言いました。
「お金がない家庭は、そもそもリサイクルショップに行く余裕やコネクションがないかもしれない。私服登校になれば、毎日同じ服を着る『着た切り雀』状態になりますます格差が明確になる」
と。
思わず、なるほどなああと考えさせられました。私の主張は「賢く立ち回れば安く済む」という個人の工夫に視点をおいていましたが、彼の主張は「最低限の尊厳を守るセーフティネット」としての制服を捉えていたのです。
どちらが正解か、ということではありません。 大切なのは、一つの事象に対して最低でも両面の視点を持つことです。
「高い」という経済的側面もあれば、「格差を隠す」という福祉的側面もある。 あらゆる場面や境遇を想定し多角的に物事を見ることが、小論文はもちろん複雑な現代を生き抜くための力だなと感じた出来事でした。