とある女性アナウンサーのエッセイを拝見し、不妊治療からの「撤退」を決断されたという一文に、深く共感しました。
金銭的、身体的な負担が大きいにもかかわらず、一度始めたことを「やめる」という選択肢が、いかに見えにくくなるか。
これは、人生におけるさまざまな選択に共通する、普遍的なテーマだと感じます。この構造は、低年齢から始まる中学受験(低学年からの受験対策)の世界にも、驚くほど当てはまります。
費用と時間が生む「やめられない重圧」受験の世界では、特に低年齢から専門の塾や習い事に多額のお金と時間を投じれば投じるほど親御さんにとって「途中でやめる」という選択肢が精神的に封じられていきます。
費やしたコスト(サンクコスト)が大きくなるほど「ここまでやったのだから、引き返すのはもったいない」という心理が働き、親御さんだけがエスカレートしてしまうパターンを多く見てきました。
もちろん、親子で共に成長し目標を達成する素晴らしい事例も数多くあります。しかし教育産業やメディアでスポットライトが当たるのは、往々にしてそうした「成功例」のみです。
途中で「棄権」した家庭に光が当たらない理由一方で「傷が深くなる前にやめる」ことを選んだ家庭、つまり途中で棄権した側にはほとんど視点が集まりません。
ゴールテープを切ったランナーを賞賛するのは当然ですが、その陰には痛みや限界を感じて途中で立ち止まったランナーが必ずいます。
私は個人的に「もう、いいんじゃない?このまま続けても親子関係の溝が深まるだけだよ」と感じるケースに遭遇することもあります。特に低年齢の受験に関しては「棄権」しても、その子の学ぶ意欲さえ失われていなければ高校受験や大学受験などいくらでもチャンスはあります。
「やめる勇気」を持つことは、「失敗」ではなく「別の場所で再び力を蓄えるための賢明な戦略」であり、子どもたちにとっては自分らしくいられる時間を取り戻すための大切な選択なのです。