小論文添削では、指導者が生徒の文章を無視して修正することが毎年毎年、起こりえます。生徒としては最善を期すべくして複数の指導者に教えを請います。すると・・・ここで一つ大きな問題が起こります。時には「誰の文章かが分からなくなる」ことです。
確かに添削者が複数いることよって文章の論理性や文法は完璧な文章になるでしょう。しかし、指導者が「完璧」を求めるあまりにアドヴァイスしすぎると、生徒が本来持つべき「自分の言葉で考え、表現する力」を育む機会を奪ってしまうことになりかねません。
先日も・・・こういったケースがありました。ツッコミどころはありつつも、本人がこれ以上書けないぐらいに頑張った作品に対して私は「合格点」とつけたのですが、別の指導者がダメ出しのオンパレード。
ウーンと考え込んでしまいました。いやいや「誰の文章?」と。あまりにもアドヴァイスという大義名分のもと完璧を目指しすぎると生徒の柔軟な思考力を鍛えるチャンスがなくなります。
明らかにおかしい部分は具体的な改善点を示しながら、修正方法を生徒自身に考えさせるのは必要ですが、それ以外は本人の文章を極力、尊重するのがベストです。このさじ加減が難しいのですが(汗)。
小論文は「誰の文章」であるべきなのか。その問いの答えは、いつも「生徒自身の文章」であるべきといつも私は自分に言い聞かせています。