「十で神童十五で才子二十すぎればただの人(とおでしんどうじゅうごでさいしはたちすぎればただのひと)」という慣用句があります。
意味は【十歳の頃に「神童」と称され、十五歳になって「才子」と言われるような、才知ある子供でも、成長するにつれてごく平凡な人間になってしまうことはよくある。】
この慣用句は、ある意味逆のことも示唆しているのです。つまり小中高といった、いわゆる「学校の勉強」で評価される場面では日の目を見ないタイプでも成人して、仕事を始めてから成功を収めるパターンがあるということ。
知人は口癖のようにいつも言っています。「自分の同級生の中で一番出世したのは、中学時代に勉強が全くできなかった奴なんだよなああ。今は地元では知らない人はいないぐらいに事業展開しているよ。」と。
では、なぜ十五で才子だったタイプが二十すぎればただの人になるのか?(☜あくまでも学力に限定です)。これには科学的な理由があるのです。中学生の頃までは知識記憶の能力が優勢だけれど、高校に入ってから(15歳~)は少しずつ経験記憶が優勢になっていくからです。
自分の脳に起こる変化に気付かずに、今までの方法にこだわってしまうと、自分の「暗記力」「能力」に限界を感じたり「記憶力が低下した?」と嘆くことになり、「ただの人」になるのです。(続く)