勉強法 雑感

十で神童十五で才子・・・

 

  「十で神童十五で才子二十すぎれば只の人(とおでしんどうじゅうごでさいしはたちすぎればただのひと)」という慣用句があります。

 意味は【十歳の頃に「神童」と称され、十五歳になって「才子」と言われるような、才知ある子供でも、成長するにつれてごく平凡な人間になってしまうことはよくある。】です。

 この慣用句は、ある意味逆のことも示唆しています。つまり小中高といった、いわゆる「学校の勉強」で評価される場面では日の目を見ないタイプでも成人して、仕事を始めてから成功を収めるパターンがあるということです。

 これには納得です。というのが、社会に出ると「勉強が出来る」ことよりも「創造性」「周囲と上手くやっていくコミュニケーション能力」といったいわゆる性格が重視される場面が増えるからです。

 また学力についても当てはまる部分がかなります。中学校ぐらいまでは勉強が出来たけれどそれ以降ではあまりぱっとしない、下手すると今まで自分よりも劣っていると思っていたタイプに追い越されることも。

 これには科学的な理由があります。中学生の頃までは知識記憶の能力が優勢だけれど、高校に入ってから(15歳~)は少しずつ経験記憶が優勢になっていくからだそうです。

 つまり、自分の脳に起こる変化に気付かずに、今までの方法にこだわってしまうと、自分の「暗記力」「能力」に限界を感じたり「記憶力が低下した?」と嘆くことになるのです。

 記憶方法の変化と同時に、「高校」=「高等学校」では学ぶ内容が格段に増え、難しくなります。暗記力は頭打ち、下手すると低下するにもかかわらず、逆に覚えるべきことが膨大になるというダブルパンチ!

 「記憶方法が変わる」ことは教育者の間では常識になっており、若者たちに「本質を理解☞覚える」ことを勧めることが増えています。むろんすべて理解できるとは限りません。

 しかし「理解する」ための思考法こそが国語力ともいえるのです。だから国語における論理的思考等をしっかりと勉強すると二十歳すぎても只の人…にはならないでしょう。コツコツ頑張りましょう!

 

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