雑感

答は1つではないことを学ぶ

 国語を学ぶことは生きることを学ぶと思います。なぜなら教科書等を通して「物語」を学びます。そしてそのことによって様々な考え方・感じ方を学べるからです。

 考え方や感じ方は人それぞれ異なるのは当然で、答えは1つとは決まりません。それゆえに国語は苦手だと思う人がいるのも事実です。確かに作品によっては重いテーマの物もありますから・・・。

 例えば森鴎外の「高瀬舟」は「病気で苦しんでいる人がいたとして、その人を死なせてやるのは善なのか悪なのか?」を問うものです。これは・・・正しい答えは存在しません。

 また、有名な「トロッコ問題」も答えはありません。「トロッコ問題」とは倫理学における思考実験のひとつであり「ある人を助けるためであれば、別の人を犠牲にしてもよいのだろうか?」を問うものです。

 簡単に言うと次のようなものです。

線路を走っている一台のトロッコが制御不能に陥ってしまい、このまま進めば向かった先で作業をしている5人がトロッコにひき殺されてしまう。

あなたは偶然にも、トロッコが走る線路の分岐切り替えレバーの近くにいる。レバーを倒してトロッコの線路を切り替えれば5人は助かるが、切り替えた先にも1人の作業員がいる。
5人を助けるためなら1人を犠牲にしてもよいのだろうか。あるいはこのままにするべきなのだろうか。
 こういった答えが決まらない物事とは言い換えると「どちらを選んでも正解」なのです。だから自分だけが正解で、自分とは違う答えを選んだ人が不正解ではないのです。

 共に正解なのです。だから・・・自分と考え方が違う人を攻撃する前に少し冷静になることが必要です。最近、世の中で非日常のことが起こっています。そういう時こそ冷静に行動したいものです。



そういった姿勢を学べるのが「国語」だと思う今日この頃です。

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