文章の型

型破り≠型なし

いつだったか・・・日本国宝の歌舞伎役者さんの随筆に次のようなことが書かれていました。「型をしっかりと学んだうえで、それを破るのは『型破り』、でも最初から型を全く習得せず自己流で行うのは『型なし』・・・」と。

歌舞伎に関しては素人の私でも大きくうなずきます!「守破離」という表現ががあるように、まずは「型を守る」☞「破る」☞「離れる」なのです。型がなければ破ることはおろか、離れて自分独自の良さを表現するなんてことはあり得ません。型なしの状態で自己表現したところで、単なる自己満足にしかすぎません。

昔から武道、芸道、茶道、華道…いわゆる「道」といわれるものは「型」を重んじます。「型」が大切なのは、勉強や運動においても当てはまります。だから、運動においては強豪校と言われる学校では監督やコーチが徹底して選手のフォームを調整するのです。文章を書く際にも「型」がありますし、国語における考え方(型)が存在します。

天性の才能に恵まれたタイプは「型」を習得しなくても個性あふれるオリジナルの、そして素晴らしい文章を書くことが出来るでしょう。国語の問題をパッと見た瞬間に解けるかもしれません。そういうタイプは人に習う必要はないでしょうし、私と知り合うチャンスは少ないでしょう。逆に言うと、第三者から指導を受ける場合は「型を学ぶ」、まずは「型を習得する努力をする」という意欲が不可欠なのです。

意欲があっても、自分の癖が抜けないのが当たり前。ましてや意欲すらない状態では全く成長することは出来ません。何かを学ぶときに、その分野の「型」「技術」を習得するのに時間を要したり、なかなかうまくいかなくても…少なくとも「型の大切さ」「型を習得しようという意欲」だけは忘れずにいたいものです。

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